毎年恒例の納会。令和元年を締めくくる岡本のウンチクは「他力本願」「会社は誰?」の二本立て。
いろんな人(経営者を除く)と話すと職場の人間関係など人のせいにしている話が多い。他力本願そのもの。人に頼っておきながら主体性がなく、チャレンジすることなく批判し、工夫することなく出来ない理由を探す。
これはひとえに「自分」というものがない。だから会社って誰?って話になる。大手企業では中々自分の意見が通らない場面があるが、中小企業は会社は自分でその役割役目で大きく会社が変わってくる。会社を変えることができるのである。
人のせいにする前に、「自分が何をやったのか」「自分が会社のために何をしたのか」まず自分の行動を見つめなおすことだと思うんです。
この景気の悪さこそチャンスであり「人の心がよく見える」
散々助けてきたところにいざとなったときに見捨てられる。いままでそういったことがあったけど、この年末にもそれが起きた。
とても残念であり、悔しいけれどそれは自分の未熟さにあってそうなったと自業自得と思い奥歯をかみしめるだけです。
直球しか投げられず、助けを求める人をほっとけなく、自分の長所でもあり短所でもあるのを自覚してるけど、それが自分と思って、来年も張り切って頑張ります。
この令和元年は初心に戻らせる試練の年でした。
日頃のまったりとした仕事の中、次を見据えて準備してますか。
令和元年も余すことあとわずか。今年は準備不足による失敗が多かった印象でした。
思い付きで準備なしに事を起こして、その後始末に追われる。本来前向きに希望を抱いて進むべき事もその修正に追われる。
日頃の仕事を次のステップを見据えて準備をしていなかったために、日々注意される。
それは、小さくても目標をもたず、作業化した仕事を仕事としているから、当然準備はしていない。
人は、目標・目的があるから準備をするのです。
スポーツ界でも強いチームは、控えの選手のスタンスが違う。いつでも自分が出る・出たいというモティベーションを維持して、準備をしているのです。レギュラー陣もそれを知っていて更なる力を発揮する。
強い企業も正に同じで、いつでも目標とするポジションを狙って、準備をしている。代わりはいくらでもいるということが、さらに企業を強くする。
中小企業にとって代わりはいくらもいない。ある意味安泰なポジションを得ればよほどのことがない限りそのポジションは追われない。また、会社にとって個人にとってチャンスがいつでも急に訪れる。そこで日頃の準備をしていることが成長に大きな違いをもたらす。
自分自身で日々小さな目標をクリアする積み上げこそ、それが準備となり力となる。与えられることを待っていては、ただ時間を無駄にし、チャンスが巡ってこない。
さあ何から準備する?
高千穂大学にて講話をすることになったのはいいけど、まじめな話もほどほどに「笑いを取れ」との命令が先輩方から言われ、市場ならではの符丁などを交えて話をさせてもらいました。
もっと身近な豊洲市場を目指してますので、是非お待ちしております。
テレビでは政府の曖昧な答弁の繰り返しを連日放送している。傍観する我々世間は、幼稚なやり取りに怒りを超え苦笑しているのではないでしょうか。それをまねするがごとく我々の業界も曖昧な事案が曖昧な状況のまま過ぎようとしている。
これでいいのでしょうか?
数名の都合で充分な説明もないまま事を曖昧にして。
曖昧は時に人を救う。その裏でモヤモヤ感が残り気分がさえず悶々とする人たちがいる。
プラスが起きるとマイナスが必ず起きる。動いた速度を限りなく停止に近い状態まで鈍くするのが曖昧。でも曖昧は止まってはいないしマイナスになってもいないし当然ゼロにもなっていない。
そんな曖昧で進んでしまったことの後始末ってきっと後世が背負うのでしょうね。
これぢいのでしょうか?