東京都中央卸売 豊洲市場 青果仲卸

社長ブログ

自分との闘い


コロナ問題でよく見えたことが多かった気がします。みんながピンチの時に、どう行動したかです。行動は、嘘をつけません。

みんなは一体このピンチの時になにをしたのでしょうか。

こんな時でも遊んで時間をつぶせる人、自粛だから他人が口出すことではないが、仮に人に迷惑をかけた場合は責任は取らねばなるまい。

自粛ポリスなるものが街中に現れ、自粛の意味すら分からなくなって罵声を浴びさせる。行き過ぎともとれるが、あれもこれも日本人特有のグレーゾーンで起きた出来事。

でもすごいよね日本人。自粛でここまでできて。

日本人は、自分との闘いに強いって自信持った方がいい。耐え忍ぶ力をバネにできるのが日本人。

自分に言い聞かせよう、負けない事、逃げ出さない事、投げ出さない事

巻き込まれない強い自分


コロナ問題で、ストレスが皆マックス!冷静さを失いかけている部分も。この機会をチャンスと捉え動くのか、その場しのぎの思い付きで動くのか。いずれにせよ以前と違う行動をとっているのは確か。だったらはじめっからやれよって思うんだよね。やれるなら。

そんな思い付きで動く連中に巻き込まれたら大変。全く将来を見ずに動いているから。その場しのぎ。そんなに世の中うまくいくもんじゃないと思う。真似事はできるけど所詮真似事。すぐに化けの皮がはがれると思う。

政府批判はしたくないけど、電通との茶番。750億円。マスクで460億円。インチキギリギリをやってる。きっと民間も同じようなことやってると思う。

いいことも悪いことも最後に決断し行動するのは自分。ただし、他人のせいで巻き込まれるのは御免だ。そうなると巻き込まれない距離感が必要だ。

「ソーシャルディスタンス」コロナ問題で勉強になった言葉。人の付き合い方もそれがより一層必要になった時代だと思う。

人と距離を取ることは、巻き込まれないシッカリとした自分が必要になる。目標をもってそれに向かっていれば、自分なりのシッカリとした自分が、できるのではないかと思います。

コロナ問題でいろいろ学ばされます。


よく見えた


誰も経験していないこのコロナ問題。日本中自粛。その時、みんなは何を考えたのでしょうか。

弁当作ったりギフト販売したり、インターネットで販売したりなどなど思いつくことをやって、食いつなぎをしている。不特定多数をターゲットにしているところは休業はもとより閉店の話も聞く。

当社の得意先では、一軒のみ撤退で閉店はなかった。常日頃の信用度は、このコロナ問題が教えてくれたような気がする。

この危機で、社員も得意先もそして周辺の人もモノも、、、よく見えた。この誰も知りえない事態にどう行動したのか。

人は行動・言動。モノは活用。よく見えた。

よく見えたら・・さあ行動!


解釈次第とはいえ・・


このコロナウィルスの影響は、別な側面でみると解釈次第っていうようなグレーな指示が出ると困る。都知事は「8割の接触回避」を言ってるわけだが、東京都の職員の中には、自分の役割を周りの状況を考えずに実行する者がいる。

今回の実際に起きている実例だが、豊洲市場は閉鎖型の市場が特徴。当然空調は大事なものであり、そのメンテナンスは欠かせないもの。

コロナウィルスが話題になったときにすぐさま豊洲市場がやり玉に挙がった。閉鎖型だから。それ以降豊洲市場に従事するすべての人は、衛生に今まで以上に気を使い対策をしています。風評が出たら終わりだという暗黙の心構えをもって。

さて、こんな中メンテナンスの話があった。東京都職員の設備課は、それを指示することが仕事である。いつ決めたのかは知らぬが、それを実行する。

それが「今」なのか。緊急事態宣言を出している時に、密集型市場仲卸の空調メンテナンスを「今することなのか」

大概の仲卸はやらなくてはならないと思い込んでて、そのメンテナンスをする人、モノは危険がゼロではないことを気づかずにいる。

この東京都職員の無責任さに失望した。彼らに忠告もした。なぜ、少しでももしもの事を考えられないのかと。

ただただ豊洲市場から患者が出ない事だけを祈るばかりです。

伝統を知って事を興す


市場には「伝統」というものがあります。それは、長年にわたり先輩方が築き上げたモノがあり、それが時代とともに変化して今日に至っています。

豊洲市場の歴史は築地で培った集大成ともいうべきものでなくてはなりません。世界で唯一なる有名な築地市場を背負ってのことですから。

市場は、大卸という卸売会社があり、仲卸はともにその運命共同体として、活性に向けた努力「荷の調整・価格の調整」をしています。築地の場合は、さらに小売商、買い出し人が多数より合い市場活性の役割を担っております。

しかしながら、荷受会社がこの伝統という教育を次世代の社員に充分していないとしたらどうなるでしょうか。仲卸はもとより生産者までも信頼のおけない相手になってしまうのではないでしょうか。

市場外流通が増える中で、市場が持つ伝統の流通と大きく分けてこの2本柱において、日本の食の豊かさが生まれていると言っても過言ではないと思います。

ただ売れればいいという考え方、市場流通を自ら破壊することになる伝統教育を怠ることに危険を感じています。

西太格言~時間は寿命~


こんな世の中だからこそ人と人のつながり「絆」「義」「恩」などの言葉が多く目についたり聞こえたりしています。なんでも活字にしてしまっている今日この頃。とても便利な反面その時の感情などが分かりずらい。詐欺などをやる人にとっては好都合だけど・・。

さて、今回は西太の格言である「時間は寿命」についてはなしたいと思います。これは、私が聖路加病院の名誉院長であった故日野原先生から刺激を受けたことから、関わる人に伝えております。

故日野原先生は、末期がん患者と問診を欠かさずやっていた時に「あなたの残りの寿命を私にください。私もあなたに寿命をさしあげます」と。患者との「時間の共有こそ寿命の使い合い」なのです。

そう時間は寿命とも言えるのです。

時間は、戻すことができません。人は生まれてから死へのカウントダウンを時間というもので測ったりもします。

人と人の出会い、動物も含め命と命の出会い、それは二度と戻らない時間の共有です。まず時間は寿命であるということをシッカリと頭に入れておくと、会話にも重みが出てくるのではないでしょうか。


コロナウィルスの対策


参ったの一言につきない。令和になってからいいことなし。とどめのコロナウィルス問題。「働くな改革」に「罰金税というべき消費税増税」「新型コロナウイルス」これが本当の日本破壊に導く三本の矢!

皮肉もそこまでにして、当社では毎日検温を指示、37度あったら出勤停止、当然手洗いうがいは当たり前で対策してます。

ところで、得意先の要望はなるたけパッケージされたものをというけれど、それって疑問が残る。あくまで持論ですが、仮にパッケージにコロナウイルスが付着していたら、どうでしょうか?パッケージごと洗う作業は家庭では考えずらい。

結論から言って、パッケージものを買うより、はだかで販売されているモノを買う事がコロナ対策。それは、パッケージされていないものは、必ず洗うという作業をします。パッケージもしくは袋にもしコロナウィルスが付いていたとすれば…

日頃の習慣から考えると袋やパッケージされたものより、はだかで売られているものを選択するのがベターと思っています。

みなさんはどう考えますか?


平凡な一日


新型コロナウィルスのせいで、平和な日々がグタグタに。外食業界は、軒並みキャンセルラッシュでフラフラ。当然、この騒ぎで街に人が消え、日本の国勢のなさが露骨になった。

量販店はいいでしょ?なんて言うひとがいる。確かに量販店はちょっといい。しかし、その需要はグロッサリーなど保存のきくものを買いに来ているだけ。そのついでに生鮮を買ってるだけのことと冷ややかな視線でみている。マスクがないのは本当だが、デマで紙製品までパニック。それを求めに量販店。

これからが東京が本当の新型コロナウィルスの脅威にさらされる。

平凡な春、平凡な一日が恋しくなるのは私だけでしょうか。

京都釜座町 長島


築地時代からお付き合いしていた「長島」。京都の古民家をリフォームして2年前にオープン。

京都釜座町 長島

料理は言うまでもない京都の風情にマッチした優しい絶品。

大打撃!


いよいよ最悪な事態に。新型コロナウィルス。なんでこのタイミングで…。とどめのようなこの波状攻撃。我々のみならず日本経済に大打撃。

やっと恒例のあいさつ回りが終わったのに。

我々生鮮は、この波状攻撃の直撃は受けることはないが、じわじわと生殺しされる。宴会関連の特需がなくなると外食は厳しくなる。最近では、ケータリングが流行りそれも特需。イベント関連など人が集まるところには「食」ありき。これも特需。量販店では、人が集まってこそと特売をする。この特売も自粛もしくは消費者の警戒からなくなる。これも特需。

特需はあくまで特別な需要ではあるが、それなしでは今や売り上げ構成が成り立たない。

人間のエネルギィーである「食」が故、急にとまることはないが今や当たり前になっていた特需によるものがなくなることで、ゆっくりと効いてくるのである。

オリンピックが控えていることで、真実の暴露を拒む政府。おかしなことになってきたよ~。防衛体制強化!もちろん自社の!