東京都中央卸売 豊洲市場 青果仲卸

社長ブログ

早い判断・早い実行・早い修正


だから言ったじゃないか!ってまた起きた。今度はコロナ編。

誰がかかってもおかしくないオミクロン。早く有給使って休みのローテーション組めと。それはフォロー体制の構築につながるからだ。しかし、早い実行ができなかった。そして本番になってしまった。

職人気質があだとなるこの業界。どこまで早い修正ができるのかが、今後の西太成長につながると思っています。

さあ~知恵を絞れ!!そして早い実践実行!

きっと差が出る


オミクロンにはさすがに参ったというより、あきらめたよ。WITH CORONAまさにこのこの言葉がピッタリ。エッセンシャルワーカーに該当する我々市場人。販売先が止まっていくので、ヒマ。この暇をどーする?

有り余る余暇?それともスキルアップに充てる?日々忙しくて、疲れて、仕事の向上を目指す時間がありません。なんてできない理由を探して、その言い訳すらも言えなくなるほど時間が余るはずです。

だからコロナ禍だからできるチャンスを見つける。時間というお年玉付きだから。

そのチャンスを自分を磨くチャンスにしたヤツは、きっといつかは差が出るはず。

自分の経験では、バブルがはじけて虚脱感といつかはよくなる期待など、他力本願でそれを祈ってた連中を横目に、営業(人脈作り)・セミナーなど粛々と活動していました。すぐには答えは出ないけど、今になって見ればそれが役に立っている。一番が、常にポジティヴに物事をとらえるようになった事。少しずつ自分に自信が持てた事。

皆にアドバイスできるのも、それがあったからこそ。その経験があったからこそ。

きっと差が出るこの時をみんなはどう過ごす?

西太標語「時間は寿命」

メリハリ充電期間


オミクロン株が発生して、日本に上陸。そんな話題で業界もしんみり。連休明けの今日もシ~ンって感じ。とても休み明けとは思えない。これから上向きになる話しより、いつ緊急事態宣言になるのかと暗い話ばかり。

そんなときは、仕事を少しでも離れ、仕事関連ではない自分が気楽に会えるレベルの人と会うのがいい。できれば、自分より劣るな~と思う人。そんな人の話を聞いて優越感に浸るのもいい。

一方、緊張感と説教をもらう相手も忘れてはいけない。これがメリハリのひとつ。

人間関係のメリハリ。仕事のメリハリ。

充電期間と思って、力まず、いつでもMAXスピードを上げられるようにリラックス。

明けましておめでとう


早いもので、還暦の年を迎えることになりました。突っ走ってきた35年。振り返ると反省ばかり。だから、ちょっとだけ振り返って、後はひたすらポジティヴに考え前に前に未来に向けて進んでいきます。

苦労は買ってでもしろなんて先輩は言うけれど、苦労はしたくない。でも周りは苦労したねとか言ってくれる。苦労=経験をいかに楽しいマイレジェンドにするかです。苦しかったことは、あとで笑いのネタになったり、人に注意を促せる。

ここ最近では、元気をもらいに来たという人がやたら多い。うれしい事です。経験したことでしかアドバイスできないけど、レアなアドバイス。きっと聞いた方がいいと思う。

とにかく今年は元気な厄年を過ごそうと思います。

反省して飛躍!


気が付けば私も来年還暦を迎えることになりますが、初老の自覚がない…。いつそれに気が付くのかが楽しみでもあり不安でもある。きっと社員が、私が伝え続けた事を実行し、成果を出したところから初老に気が付くのではないかと思っております。

私は、その初老の自覚を持たないためにも、変革し続けたいと思います。まだまだ若いもんには負けないぞと。

昨年より、あまり営業に口を出さぬようにしていますが、目に余る事をしでかす。同じ失敗を繰り返す。ただ、少しずつその回数が減ってきていることも事実。

反省したらあとは飛躍のみ。

自分の目標を持つこと。これってこんな時代だから大事なことなんだよな。

商売繁盛 招福宝来 横綱 照ノ富士関


緊急事態宣言があけて、勢いづいた11月!しかーし、その勢いも失速ぎみの12月のスタート。そんな悶々とした空気を一転させてくれたのが、第73代横綱 照ノ富士関。

地獄から這い上がって復活!そしてこの九州場所は全勝優勝!いう事なし!!このパワーを西太はキッチリいただきました(^^

忙しい中、お疲れのところご苦労様でした。横綱に負けぬよう西太も頑張ります!どすこい!!

なんとも言えないSDGs


SDGsの観点は、素晴らしいと思うのですが、気を付けないといけないと思っているのが、その解釈。日本国は島国。大陸の人種とはちょっと違う面がある。国勢がそれを物語っている。国勢がないから人付き合いやルールをDNAに組み込まれているかの如く、よく厳守する。他国から見れば不気味ともいうべき「大人しい国民」忍耐が身についている。

SDGsの観点から解釈を間違えると、人付き合いが疎遠になるというか「失礼なやつ」「常識知らず」などと言われる可能性も捨てきれない。国民に確実に浸透しない限り、何かモヤモヤ感が残る結果となる可能性がある。

国勢のない日本では、「国際的に言う無駄」が内需拡大にとって大事な事と思っています。何もかも国際的に合わせたがり、周りを意識しすぎる面がある。

国勢のない日本は、定住民族のDNAからくる面倒なくらいの人付き合いが必要と思います。人のために時間を費やすことも大事な「絆」。冠婚葬祭からはじまりお中元お歳暮そして年賀状など。

いずれ渋谷スクランブルは、ぶつかり合う人が増える日が来るんでしょうか。

人に優しく 仕事に厳しく


コロナ禍で少し人間関係にも変化が出てきているようです。いい面と悪い面ありますが、仕事をするうえで人間関係を無視しては成立しません。

仕事をする上で「目配り 気配り 心配り」がとても重要。それは私のモットーとしている「人に優しく 仕事に厳しく」につながるからです。

目配り:仕事の完成度の確認です。取引先に失礼がないか、段取りよくいっているかを目視のみならず確認すること。

気配り:仕事、作業に無理・無駄・ムラがないかをチェック。自分の担当の仕事以外への配慮も。ちょっとした気配りで、仲間を助ける結果にもつながることもあります。

心配り:仕事をする人達への配慮。公私にわたり個人ではいろいろなことが起き、感情が不安定になることも多々あります。人間ですから。しかし、仕事に影響があってはならない。そんな時、お互いに心配りする思いやりがあれば悪化は避けられます。

何事も視野を広く持つことで、自分の立ち位置と周りの立ち位置が見え、自分の使命が見えてくるはずです。関わらない、自分さえよければは、いつか自分に跳ね返ってきます。

さあー気が付いたら前に向かって進みましょうー

任せる・任される


仕事を任される重圧って結構ある。オリンピック見てても、数々の国内はもとより海外で多数の試合を経験してても、自国開催での不特定多数の人の底知れぬ期待の重圧を、選手を見て感じ取れる場面が多い。試合後の表情から見て取れる。

仕事もプロスポーツもよく似ていて、ともに生活がかかっていること。任された仕事を全うすることに、すべてをかける。それは、信用・信頼・期待・名誉と収入を得るために。

任された人は、周りから期待という視線で常にみられる。それに気が付いている人とそうではない人では、先行き大きな開きが出るのは言うまでもない。一方、任した人は、心のどこかで不安の二文字がチラつく。任せた人が、唯一なる安心できる事は、その仕事に起きるであろう問題を、いつでも解決できるという自信に他ならないであろう。その自信を手に入れるために、日夜努力をしなくては、手に入らない。それは、監督指導する上席の立場の使命。

自信がないは、いずれやる気が出なくなり、かと言って仕事もしなくては生活できなくなる。そうすると潜む社員となって、余計に目立たないような行動に徹するそうです。

私は、結果ではなく過程が大事であると思っています。過程とは、自分なりの目標・目的に向かって「どういう努力したのか」です。それをすすめるには、気配り・目配り・心配りが必要です。

そういった努力と経験が、いずれ「責任」ということも知らず知らずに身をもって知ることになり、更に責任には権限が付与され、責任と権限を有する上司となるのです。

先ずは、具体的に行動!

運と努力


いろんなことがあっても、とうとうオリンピックが開催されました。報われた人、報われなかった人それぞれ複雑な気持ちでしょう。オリンピックを目指して日々自分の限界まで追い込んで、出場の切符を取ったアスリート達。一方で、パンデミック状態の日本において、お祭りごとやるなんてどうかしてると訴える人達。アスリート達も複雑な気持ちで今大会に臨んでいる。開催を反対している人も、一生懸命競技をしているアスリートを応援している。

誰のせいでもないけど、ここで運と努力が実ったアスリート。半強制的に開催を強いられた国民。運を手に入れたのだから、アスリートにはより一層頑張ってもらいたい。感染拡大に歯止めがきかなく、毎日犠牲になる人たち。その家族は、どんな心境でオリンピックを見ているのだろうか。きっと選手を応援していると信じたい。今回のオリンピックは、多くの犠牲を払っていることをアスリートは分かった上の、発言、行動でなくてはならないと思う。恒例のオリンピックとは違うという事を。

そもそも国民感情を逆なでするような、政治家の行動、組織委員会など、直接競技をする人ではない人が失態を繰り広げていて、オリンピックの価値観そのものと、何の罪もない人たちをきずつけているように思えてならない。

やった感だけを達成と勘違いをする人。今後は、あらゆる指摘を受けることだろう。