東京都中央卸売 豊洲市場 青果仲卸

社長ブログ

伝統を知って事を興す


市場には「伝統」というものがあります。それは、長年にわたり先輩方が築き上げたモノがあり、それが時代とともに変化して今日に至っています。

豊洲市場の歴史は築地で培った集大成ともいうべきものでなくてはなりません。世界で唯一なる有名な築地市場を背負ってのことですから。

市場は、大卸という卸売会社があり、仲卸はともにその運命共同体として、活性に向けた努力「荷の調整・価格の調整」をしています。築地の場合は、さらに小売商、買い出し人が多数より合い市場活性の役割を担っております。

しかしながら、荷受会社がこの伝統という教育を次世代の社員に充分していないとしたらどうなるでしょうか。仲卸はもとより生産者までも信頼のおけない相手になってしまうのではないでしょうか。

市場外流通が増える中で、市場が持つ伝統の流通と大きく分けてこの2本柱において、日本の食の豊かさが生まれていると言っても過言ではないと思います。

ただ売れればいいという考え方、市場流通を自ら破壊することになる伝統教育を怠ることに危険を感じています。

西太格言~時間は寿命~


こんな世の中だからこそ人と人のつながり「絆」「義」「恩」などの言葉が多く目についたり聞こえたりしています。なんでも活字にしてしまっている今日この頃。とても便利な反面その時の感情などが分かりずらい。詐欺などをやる人にとっては好都合だけど・・。

さて、今回は西太の格言である「時間は寿命」についてはなしたいと思います。これは、私が聖路加病院の名誉院長であった故日野原先生から刺激を受けたことから、関わる人に伝えております。

故日野原先生は、末期がん患者と問診を欠かさずやっていた時に「あなたの残りの寿命を私にください。私もあなたに寿命をさしあげます」と。患者との「時間の共有こそ寿命の使い合い」なのです。

そう時間は寿命とも言えるのです。

時間は、戻すことができません。人は生まれてから死へのカウントダウンを時間というもので測ったりもします。

人と人の出会い、動物も含め命と命の出会い、それは二度と戻らない時間の共有です。まず時間は寿命であるということをシッカリと頭に入れておくと、会話にも重みが出てくるのではないでしょうか。


平凡な一日


新型コロナウィルスのせいで、平和な日々がグタグタに。外食業界は、軒並みキャンセルラッシュでフラフラ。当然、この騒ぎで街に人が消え、日本の国勢のなさが露骨になった。

量販店はいいでしょ?なんて言うひとがいる。確かに量販店はちょっといい。しかし、その需要はグロッサリーなど保存のきくものを買いに来ているだけ。そのついでに生鮮を買ってるだけのことと冷ややかな視線でみている。マスクがないのは本当だが、デマで紙製品までパニック。それを求めに量販店。

これからが東京が本当の新型コロナウィルスの脅威にさらされる。

平凡な春、平凡な一日が恋しくなるのは私だけでしょうか。

大打撃!


いよいよ最悪な事態に。新型コロナウィルス。なんでこのタイミングで…。とどめのようなこの波状攻撃。我々のみならず日本経済に大打撃。

やっと恒例のあいさつ回りが終わったのに。

我々生鮮は、この波状攻撃の直撃は受けることはないが、じわじわと生殺しされる。宴会関連の特需がなくなると外食は厳しくなる。最近では、ケータリングが流行りそれも特需。イベント関連など人が集まるところには「食」ありき。これも特需。量販店では、人が集まってこそと特売をする。この特売も自粛もしくは消費者の警戒からなくなる。これも特需。

特需はあくまで特別な需要ではあるが、それなしでは今や売り上げ構成が成り立たない。

人間のエネルギィーである「食」が故、急にとまることはないが今や当たり前になっていた特需によるものがなくなることで、ゆっくりと効いてくるのである。

オリンピックが控えていることで、真実の暴露を拒む政府。おかしなことになってきたよ~。防衛体制強化!もちろん自社の!

悲観的なのか現実なのか


消費税は罰金税。働き方改革は働くな改革。

どう思っても景気が悪い。モーニングショーで言いかけてやめたけど、衣食住で調整できるのは、「食」。購買意欲をそぎ落とす増税。軽減税率なんてまやかしみたいなもので、誰かが多く負担する。

とどめのコロナウィルス。人混みのある所を極力避ける。家に引きこもる。消費がにぶる。泣きっ面に蜂。どこに景気向上のきっかけがあろうか。

残業で稼いでいた人も多かったろうに。残業できず手当てが減り、収入が減る。ホントの意味の豊かさとはなんであろう。持て余す時間をどう時間を潰し過ごすことなのか。時間と収入のバランスこそ、幸せの尺度の基本ではないだろうか。

収入が減れば、余暇を楽しく過ごせない。余分なお金がないからである。「稼ぐ」ということを、まじめな人が自分の力量でできることもタブーになる。

教わる時間。も無くなる。残業になるから。喫茶店で仕事をする人が増えてるように思える。オフィス難民。会社にいることができない。いてはいけないのです。

どうなるんだろ日本。寸断された人間関係。

うまいこと言うね~


モーニングショー突然出て大反響でした。結構あの時間みてるんだね~って感心しました。というよりメジャーテレビ局は違うと感じました。

さて、出演したのを見ると次のコーナーでうまいこと言ってたね。自分は「働き方政策」をもじって「働くな政策」なんて常に言ってるんだけど、消費税のことを「罰金税」と。モノを消費すると「罰金」として「税」がかけられると。

今の景気考えるとまさに当てはまる。衣食住で唯一月の調整ができるのは「食」。この業界よくないのが分かるね。

デフレスパイラルって言葉が聞かくなったけど、残業で稼いでいた人も稼ぐこともできなくなって、当然収入がダウン。収入がダウンするともうちょっとの贅沢・消費ができなくなる。国勢のない日本だからこそ、消費を拡大しなくてはならない。消費すると罰金税がかかれば、最低限で過ごすよね。

消費はエブリディ活発でなければならない。そのためにも減税を望むのは私だけでしょうか。

出張ロケ・・照英さん


照英さんって見たままの「いい男」芸能人という態度もなく、極々自然体で。出たがりの私は、いろいろな芸能関係者とお会いしていますが、照英さんは友人として付き合いたいと思う人でした。

2日間も芸能人と一緒に出張するのは初めてで、初めはさすがに緊張したけど、照英さんの自然体な接し方をしてくれたおかげで、いつもの自分で過ごせたのはラッキー!

2月12日の放送が楽しみ!

初めての生放送


ラジオの生放送は経験しているけど、テレビは初めて。突然のオファーでも特別に緊張することなく普段通り。何たって台本がないのがいい。

意外と朝のテレビは見ている人が多く、終わって携帯を見れば60件以上のメールが来ていてビックリ( ゚Д゚)とりあえず皆様からお褒めの言葉を頂戴しホッと一安心。

後は2月12日のオンエアーが楽しみ。


こんな時だからこそ


けっこうサマになってる

ホントに不景気だね。市場が静か。これじゃいけないと動きたいけど動けない1月。何かと用事ができる。

そんな中、久しぶりにテレビ出演の依頼。今週は、テレビ東京の話が2本。うれしい限りです。今回は「よじごじ」という番組でした。

さて、こんな元気のない時こそ声を掛け合って「報告、連絡、相談」して知恵でも出してくれれば万々歳。でなくてもいい。それは、コミュニケーションしていることだから、突破口を探せるはず。

そんな当たり前なこともできない人多い。残念だけど。コミュニケーションツールは何でもあるのに。できない人の気が知れない。

当たり前の常識ができないというより、できない理由を探して言い訳するんだろうね。自分で突破しようとするのではなく、問題を先送りにする。時間だけじゃ解決できないこと山ほどあるのに。

令和元年は初心にさせた


毎年恒例の納会。令和元年を締めくくる岡本のウンチクは「他力本願」「会社は誰?」の二本立て。

いろんな人(経営者を除く)と話すと職場の人間関係など人のせいにしている話が多い。他力本願そのもの。人に頼っておきながら主体性がなく、チャレンジすることなく批判し、工夫することなく出来ない理由を探す。

これはひとえに「自分」というものがない。だから会社って誰?って話になる。大手企業では中々自分の意見が通らない場面があるが、中小企業は会社は自分でその役割役目で大きく会社が変わってくる。会社を変えることができるのである。

人のせいにする前に、「自分が何をやったのか」「自分が会社のために何をしたのか」まず自分の行動を見つめなおすことだと思うんです。

この景気の悪さこそチャンスであり「人の心がよく見える」

散々助けてきたところにいざとなったときに見捨てられる。いままでそういったことがあったけど、この年末にもそれが起きた。

とても残念であり、悔しいけれどそれは自分の未熟さにあってそうなったと自業自得と思い奥歯をかみしめるだけです。

直球しか投げられず、助けを求める人をほっとけなく、自分の長所でもあり短所でもあるのを自覚してるけど、それが自分と思って、来年も張り切って頑張ります。

この令和元年は初心に戻らせる試練の年でした。